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咲野…山頭火の妻3

咲野3
 しかし、縁というのは不思議なものでありまして、世間知らずの私はあの眼鏡の奥の暗い目が気になって仕方なかったのです。それに正一さんは私の知っている男の人にはない、何かはわからないけどおしゃれというか知的なというのか不思議な雰囲気…もしかしたら都会的とでもいうのかそんなところに魅かれていたのかもしれません。それに縁談を断られたことで自尊心が傷ついて意地になっていたのでしょうか。
 断られた種田に嫁ぐという私を両親は呆れて相手にしてくれよりませんでした。一番怒ったのは又従兄弟の祐輔さんでした。祐輔さんは京都の師範を出て佐藤の経営を兄と一緒に手伝っておりました。祐輔さんは種田の家のことを調べてきてこの結婚でいかに私が不幸になるかを理路整然と説いてくれたとです。
 その理由というのが皮肉なことに後の山頭火さんが何かに書いていたものと同じなんです。
 「最初の不幸は母の自殺。第二の不幸は酒癖。第四の不幸は結婚、そして父になったこと」
 この頃はまだ第二の不幸までだったようですけど。あ。第三の不幸が書かれていないのは何を意図しているのかと山頭火の研究者さんたちはたいそうにお考えになっているようですけど、あの人は誤字脱字の多い人でしたから書き間違えただけだと思います。私は。
 
 正一さんのお母様は正一さんが十一歳の時に防府の屋敷の裏の井戸に飛び込んで自害されたそうです。夫の女道楽の激しさに死んで抗議をしたのだろうとのこと。一説には狂気の血筋説というのもあって、祐輔さんはそれを心配してくれちょるのでした。私は端正で優しいお父様の顔を思い浮かべました。歌舞伎役者にも面影の似とらす二枚目、その上、お金持ちとくれば女の人にもてん筈がありません。
 「それに酒!」
 祐輔さんは声を荒げました。早稲田を卒業前に帰ってきたのはお酒を飲み過ぎたせいやというんです。酒代に追われて逃げ帰ってきよったんやと。でも、今はおうちでお酒を造っているんだもの、なんぼでも飲めるやないですか。ですが祐輔さんは過度のお酒は体も心もボロボロにする麻薬だからサキちゃんは絶対に不幸になると断言するとです。
 反対されればされるほど私は正一さんが気の毒になっていきました。あの暗い目はあんまりにもたくさんの悲しいことを味わってきたからなんだと思うとかわいそうでなりませんでした。
 鬱々と時間が流れていきよりました。銀杏が落ちて梅が咲いて、桃や桜が満開になって私は女学校を卒業しました。
 女学校を卒業した私は花嫁修業というのでしょうか、母や叔母たちから料理や裁縫や生け花、表千家のお茶など家事一般を仕込まれていました。弟や近所の子供たちの勉強をみたりもしていました。縁談もいくつか持ち込まれましたが首を縦には振りませんでした。そうこうしている内に種田からお父様が何度も足を運んでこられるようになって親同士の話がどうなったのやらとうとう正一さんに嫁ぐことになりました。
 「あいつもすっかり大人になりましてな、最近はうまい酒造りの勉強をしちょるんですわ。これで、サキノさんがお出でてくれたら鬼に金棒です。よろしゅう頼みます」
 お父様は深々と頭を下げられました。
 「田舎育ちで一通りのことは躾けましたが至らないところも多い我の強い娘でございます。大事な一人娘でもございます。どうぞよろしくお願いいたします」
 母の言葉に頷きながら父も頭を下げました。

 秋になって稲刈りが始まると新酒の仕込みで酒造所の方が忙しくなるのでお盆を過ぎるのを待って嫁入りと決まりました。今は造り酒屋になっているとはいえ元は防府市の大地主という家柄ですからどこへ出しても恥ずかしくないだけの嫁入り支度を整えてくれました。その時に誂えてもらった家紋の入った桐箪笥などは今も使うております。
 祝言は防府の天満宮であげることになりました。長い花嫁行列が高瀬から佐波川沿いに続いていくのです。籠に揺られて船着き場まで行きます。そこからは船に乗り換えて何艘もの船で佐波川を下っていくとです。文金高島田に結い上げられた髪に絽とはいえ花嫁衣装を纏っての五時間はきつく二度と嫁入りなどしとうないと思いよりました。
 「サキさまの嫁入りじゃあ」と高瀬を出たあたりまでたくさんの人が見物旁々見送ってくれましたし、防府に近づくにつれて「大種田の嫁さんだっちー」「あのしょうさまの嫁御とな」と野次馬の途切れることものうて嫁入りとは大変なことでありました。
 女狂いの舅殿に暗くて得体の知れない婿殿、おまけに下り坂の家業。「そういうとこに、よう嫁ぐ気になりんさったね」友達にもよう聞かれました。なぜ?
 「正一さんを支え、子供を育て、種田の家を再興させる。ええな。それがお前の務めぞ」
 父からはそんな言葉で送り出されとです。
 時代と言うてしまえばそれまでですけど…実はですね、私、一緒に酒造所をやりたかったとです。正一さんと力を合わせて種田酒造を大きく育て上げていきたいと思うとったんです。そうすれば正一さんの悲しかった過去なんて思い出にしか過ぎなくなるに違いないって、一生懸命に考えて…ただ子供を産んで育てるだけの毎日よりはずっと生きがいがあるんじゃないかって。
 天満宮での婚礼と宴がすむと両親と兄夫婦に弟たちが並んで大道に向かう私の籠を見送ってくれました。後ろの方に立っていた祐輔さんとは朝から目を合わせませんでしたがこの時は睨むような目でじっと私を見つめちょりました。
 大道へは中年のやえという女中をつけてくれちょりました。私の未熟さを補佐させるためと一人では心細かろうという親心からでした。本当に親とはありがたいものです。
正一さんが二十七歳で私が二十歳。
 明治四十二年の八月二十日のことでした。
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