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『花箋』 くちなし6

くちなし6
やえちゃんは再婚し、横須賀からバスで一時間弱の海辺に暮らしていた。
再婚相手は漁師だったから、海辺といっても漁村なのだ。
私は奮発して薄紫のデージーに似た花びらが気に入ってオステオスベルマム、ひらたく言えばアフリカン・デージーの大きな鉢を買ってその漁村を訪ねた。
北に小さな丘が連なって南は全面の静かな海。
真っ青な海の向こうに幻のように大きな富士山が浮かんでいる。
たいていの漁村がそうであるように住宅の一角はコンクリートで固められていた。
あまりにもさっぱりした家だった。
やえちゃんは私が差し出した花の鉢を見てつまらなそうな顔をしてありがとうも言わなかった。
? となってお菓子の方がよかったのかなと思った。
やえちゃんはあの居酒屋の無口な常連客だった人と結婚したのだという。
命の恩人なんだそうだ。
その人の子供も二人産んでいた。
由希子ちゃんと上の男の子は学校に行き、下の2歳の娘さんはどっかの家で遊んでるとか。
時が止まったように静かだった。
何もない増築された二階の部屋。
宗教団体の全集だけが背表紙を光らせていた。
あの噂は本当なのかもしれない…。
「やえちゃんが選挙になるとやってきて困るんだよね」
それを見透かしたかのようにやえちゃんは笑った。
居酒屋時代におかあさんが入信し、それを引き戻そうと理論武装のために猛烈に勉強した。
結果、やえちゃんはそこに「究極の真理」を見てしまった。
ミイラとりがミイラだよと爽やかに笑った。
やえちゃんにはコミュニストの方が似合うと思うよ、とわたしは言った。
がっかいのジャンヌ・ダルクがいてもいいじゃん。
ジャンヌ・ダルクねえ。
やえちゃんは啓蒙精神に燃えてこの漁村にやってきたという訳だ。
今では支部長として村の全般的な文化向上に尽くしているらしい。

海岸を案内しがてらバス停まで送ってくれた。
あちこちにオステオスベルマムが雑草のように咲き乱れていた。
まるで狐に化かされたみたい。
漁網が干してあり、繕っている人もいた。
たまにすれ違う村の人はみんなやえちゃんに丁寧にお辞儀をした。
輝いて生きている人に何も言うことはない。
どこかから小さい裸足の野生児のような女の子が走ってきて「ママー」とやえちゃんに抱きついた。      
                
もう、やえちゃんに会うことはないだろうと思っていた。
やえちゃんももう私には会いたくないのだろうとなぜか思った。
だが、まだ続きはあった。

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