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『花箋』 くちなし9


二年後。加代子さんからやえちゃんが入院しているとの電話があった。二人でお見舞いに行った。
明るく西日の差し込む病室でやえちゃんは目を閉じていた。肝硬変だそうだ。
「アル中だよ」
黄色味の強い顔でやえちゃんは言った。きれいな声だ。
声に反比例して全体に弱々しい。
「だから飲み過ぎだって」
「うん」
「みんな心配してるのよ」
加代子さんが言うとやえちゃんは鼻先で笑った。
「ねえ、良くなったら尾瀬に行かない?」
わたしは不意に言っていた。
「この前、行ってきたの。やえちゃんにあの枯葉色の景色を見せたいて思ったんだ」
「オゼ…」
やえちゃんの目が遠くなった。

高校二年の晩秋。午後の授業をさぼってわたし達は制服のまま最初に来たバスに乗った。防衛大学行きだった。
バス停かた大学まではかなりの山道。裏道を歩いて行った足裏はふんだんに積もっていた枯葉の壊れる音を吸収する。
立原道造や中原中也の話で盛り上がった。
バリ、グサっ、ガサという破壊音はストレートに心臓まで伝わりそれが心地よかった。

「まあ!そんなことしてたの、あなた達」
「軍港にも安針塚にも行ったネ。やえちゃん」
やえちゃんは漁村では見せなかった穏やかな目をした。
「わたしもキャラバンシューズ買って足慣らししとくね」
そう言う加代子さんにもやえちゃんはほほえんだ。

次にお見舞いに行ったときは尾瀬の写真集を2冊持って行った。
髪を下ろした尼さんのように切りそろえられていた髪がかなり伸びて、信じられないくらい暗い黄色い顔をしていた。
「ほんとに行こうね」
写真集をパラパラめくりながら小声でやえちゃんは言う。
加代子さんもわたしもそんな日は来ないと思った。
そして一月後に訃報の知らせがきた。

漁村やがっかいの人たちによって葬儀が行われ、それに参加しなかったわたし達かってのクラスメートはじつにゆっくり焼き場に向かうやえちゃんの遺体を乗せたセダンのうしろをついて歩いた。
夕陽も背後からついてきて、まるで野辺送りのよう。やえちゃんには相応しいかったかもしれない。
途方にくれたように遺体に寄り添うご主人の横には腰の曲がったお姑さん。
唇を真一文に結びしっかり年の離れた妹の手を握りしめてるのは高校三年生の由希子ちゃんだ。
これからは母代わりとなるのだろう。
「大変だけど、がんばってね」
そんな陳腐なことしか言えない自分が情けない。
由希子ちゃんは聞き飽きたのか覚悟ができていたのかうっすらと笑った。その笑い方はやえちゃんを思い出させた。
別れ際にやえちゃんが尾瀬に行くのを楽しみに、すごく楽しみにして尾瀬の写真集を最後まで見ていたと言った。。
「ありがとうございました」
由希子ちゃんは深く頭を下げてから妹の手を引っ張って車に乗り込んだ。わたしは小さく「さよなら」と呟いた。
不意に不思議な香りが鼻をついた。見回してみるとくちなしの花。道の端に砂埃にまみれたそれはあった。
白いはずの花は茶色くしおれ力尽きそうになりながら香りを放っていた。

この日、富士山は見えなかった。(終)

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