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長屋王

奈良の平城旧跡から歩いて10分ほどの所に大規模商業施設の「ミ・ナーラ」がオープンした。
昔はここにそごう百貨店があった。そうごが閉店した後にはイトーヨーカ堂奈良店となったが経営不振で撤退した。そこにオープンしたのだからかなりの決意がいったのじゃないかと思う。
この土地は悲劇の平安貴族長屋王の屋敷跡。
おびただしい木簡が土中から発見されてニュースになったのが記憶に新しい。
歴史上に大きな貢献となった。
なるほど勤め先の平安京に近いから当時の一等地だった。
経営者達は事前に必ず長屋王の魂を鎮める行事を行う。

「長屋王」
壬申の乱は中大兄皇子(天智天皇)と大海人皇子(天武天皇)の皇位継承を争う古代史最大の内乱とされている。結果は大海人皇子の勝利で天武天皇が即位する。正妃は中大兄皇子の娘の讃良(後の持統天皇)。この戦いで一番の功労者は長男の高市皇子だったが生母が采女だったこと、持統が自分の息子を皇位につける画策をしたために太政大臣で生涯を終えた。
その長男が長屋王だ。
  蛇足ながら天武天皇と額田王との間に生まれた十市皇女は高市皇子の恋人だった。
持統天皇を補佐してきたのが藤原不比等で自分の娘を天皇に嫁がせて孫を天皇にし政治の実権を握った。その延長線上で皇位争いが起こる。
朝廷は藤原四兄弟が牛耳っていたが人望厚く天武の血筋の長屋王はその中で右大臣として健闘していたが、次期天皇に一番近い立ち位置に居た。外戚の藤原氏には幼い皇子しか恵まれず、皇位継承者の最右翼にある長屋王をなんとかしなければならなかった。
なんとか…長屋王に謀反の疑い有りと屋敷を取り囲み火の手を上げた。
長屋王は家族もろとも自害した。
  ここでも蛇足。この時、天武天皇の血は途絶え、天智天皇(娘の持統による)血筋が  延々と続くことになった。

そんなわけでこの地には長屋王の怨念の祟りがあると言い伝えられている。
「ミ・ナーラ」の経営者は敷地内にある長屋王を祀った社に毎朝祈りを捧げると語っていた。
長屋王さま、奈良の発展のためどうぞお力をお貸し下さいとお願いするばかりだ。




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