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ごみ


 警察からの「武田隆子さんはお宅の奥さんですか」という電話は重夫を不審がらせた。たしかに重夫の妻の名前は隆子だ。しかし、受話器の向こうにいるのは本当に警察なのか?新手の詐欺ではないのか。無言でいると
「運転免許証の名前がそのようになっていますので確認してます」
 重夫は生年月日を言ってその武田に間違いないのかと聞いた。
「年齢六十九歳、血液型A型、髪は肩まで」
 ここで重夫は少し本気になって遮るように「それがなにか」と応じてしまった。が
「すぐに警察病院までお越し下ください」と一方的に電話が切られてしまった。
ひとり旅の好きな隆子は屋久島に行っていて明後日には帰ってくる筈だ。もしかしたらその旅先で何かあったのだろうか。いや、それなら直接当地の警察なりなんなりから連絡があるべきだろう。
子供たちが独立してからの二人暮らしだ。「勿体ない」というのが口癖の隆子に「もう、我慢するのはやめようよ。余ったものは捨てる。我慢して食べることはない」と重夫が言ってから三年になる。隆子が旅に行き始めたのはその直後からだ。我慢しない為にはひとり旅が一番なんだそうだ。重夫は流しに積み上げてある食器類を洗うことにした。帰宅した時の隆子の不機嫌な顔が浮かんできたからだ。

 警察病院に行って名前を告げると受付の担当者の顔が緊張した。こちらへと案内されたのは長い廊下の果ての階段を降りた霊安室だった。シンプルな寝台に白い布がかけられていて真ん中一線が盛り上がっている。テレビで何度も見たシーンと同じように係の人が布をめくった顔を重雄は見なければならなかった。隆子に間違いなかった。薄い桃色の顔をしている。息をしてないとは思えない。
 「あら、迎えになんてきてくれなくてもよかったのに」
 と、今にも起き上がりそうだ。
 係の人は身元確認が出来てほっとすると同時に形だけ頭を深く下げて、これからのことを示唆した。
「ちょっと立て込んでいますので…指定の業者と相談してなるべく早くお引き取り願いたいのですが」
 「立て込んでる? 」
 「事情は後ほど説明しますが、ご遺体がここが空くのを待ってますので」
 かなり取り乱した様子に重雄もつっこんで聞くことは出来なかった。侘しく立てられていた線香の灰が落ちた。
 混乱していた重雄はとりあえず家につれて帰ることしか思いつかなかった。しかし、それにはどうすればいいのか。結局、病院の出入りの葬儀屋にすべてを依頼するしかなかった。
 日頃は冷静沈着でどちらかといえば合理的な男としてバブル崩壊と戦ってきた重雄であったが予想外の出来事に直面すると思考能力が働かないものらしい。助手席に隆子がいないことに気づいて子供に連絡をしなければと焦った。いや、遺体搬送車に同乗すべきなのか。混乱した頭で重雄は携帯電話を取り出した。

 隆子の死因は集団練炭自殺の成功だった。
 重雄は浦賀水道が見下ろせる高台の住宅地に暮らして十年近くなる。その自宅から海沿いに歩いて行くと走水でその先の山の上には防衛大学がある。海岸線は長く所々にバーベキューの残骸がある。釣り人は居るがサーファーの姿はない。岩場だからだ。海に突き出た小山もあって木が茂っている。
 その茂みの中のワインレッドのワンボックスカーが釣り人に発見された。男三人、女二人が眠っていて、その一人が隆子だった。隆子一人が年寄りで、もう一人いた形跡がありそれを警察は追っていた。
 重雄にとっての疑問は屋久島に行っていた筈の妻がどうして自宅から遠くないこんな所に居たかということ。棺桶の中の遺体に聞いても答えは当然無く、重雄は考えるのをやめてしまった。隆子のパソコンや手紙類を調べれば何かが分かるだろうけど、分かったところでどうだというんだ。本人は死んでいるのだ。ただ、それは自殺なのか巻き込まれたのかの一点だけは知りたいと思った。死ぬの生きるのと大騒ぎして一緒になったそのなれの果てなのだ。
 ほどなく大阪と福岡から駆けつけてくるだろう息子と娘。二人は重雄を糾弾するに違いない。今の重雄にはそれがなにより鬱陶しかった。ほんとに何も判らないのだ。食べることに不自由もさせていないし、好き勝手に旅行も行かせている。肩こりだ腰痛だと言っていてもややこしい病気はない筈だ。

 ー地震の時、お母さんはお父さんが守るからお前たちは自分のことだけ考えて行動しろとお父さん、そう言っただろ。膵臓がんの疑いがあったときも最期までちゃんとお母さんが望むようにお父さんが看るから安心しろって言ったの。あれはどういうことよー。
 そんな子供たちの聞こえない声が重雄の脳裏を駆け抜ける。鳥籠の中でオカメインコのパコが何かブツブツ言ってる。
重雄は彼らには無言で通すことにした。日頃から家では寡黙なのである。対外的には人当たりがいいが、芯にはそういう偏屈さをもっていることを彼らも知っているだろう。多分。隆子が愚痴っているに違いない。

 電話が鳴った。警察からだ。一人逃れた若者が捕まり、隆子は巻き込まれたことが判明したとのこと。「そのおばさんは妙なところに止まっている車に不審を感じて声をかけてきた。やりとりがあってジュースを振る舞われ」その隙に男は逃げ出したらしい。
 「奥さんは練炭を見て集団自殺と察し、熱心に諭しだしたみたいです」
 自殺じゃなかった。それは一種の安堵を重雄にもたらした。あいつはお節介なところがあった。若い奴らが人生に絶望するのは生意気だと思ったのかもしれない。だが、なぜそんな時に渡されたジュースを飲む?
 重雄は線香を継ぎ足して遺体に「喉が渇いてたのか」と声をかけた。
 それにしてもと重雄は家の中を見回してごたごたと置かれている物の殆どが隆子の所有物だと気がついた。フードプロセッサーもパン焼き器も花器類も庭の花さえも。「人は死んだらゴミになる」とどこぞの検事が言っていたが、ゴミになるのは所有者を亡くした生活用品のすべてなのだ。俺はゴミの中で暮らしてきたのか。いや、この瞬間にそうなったのかもしれない。
 「パコ、パコ、パコ~」とパコが歌っている。「こいつはゴミにしてはいかんな」と遺体に呟いて重雄は餌を取り替えてやった。こいつは子供のどちらかに連れて行って貰おう。で、俺は?…独居老人となるのか。家庭内のことは全部隆子が仕切っていた。行事も交際も子供のことも買い物もこの家さえ。重雄は給料を運ぶだけで良かった。不満がないわけじゃなかったが、意見を言えば言い争いになっていつも重雄の意見は却下され、だから平和な日々があったのかもしれない。なのに、降って湧いた自由を前に戸惑うのはなぜだ。

 もうすぐ遺影が届くだろう。葬式はしないでと隆子は日頃から言っていたが、この流れに逆らうことは出来そうにない。そして厭がっていた山梨の武田家先祖代々の墓に納骨する運びとなるだろう。重雄はざまあ見ろとかすかに思った。
 チャイムが鳴った。息子か娘が着いたのだろう。重雄は鍵を開けるために玄関に向かった。下駄箱の上の出し忘れたらしい葉書が目についた。「夫なんて存在そのものがストレスなのよ」の隆子の手の文字が飛び込んできた。その葉書を裏返して、どんな顔で迎えればいいのかと思いながら重雄は鍵をあけた。
「おかあさ~ん」とパコが啼いた。         〈終〉
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